深呼吸日和

こころの時代のライフスタイル
シンプルで豊かに生きる幸福論

国際幸福デーに幸せを考える 誰もがいつからでもなれるもの

今日は「国際幸福デー(International Day of Happiness)」です。
2013年より毎年3月20日は「国際幸福デー」に国連によって定められました。

昨年に続き日本でも「Happy Day」として、幸せについて考えるイベントが東京などを中心に、各地で開催されているようです。

最近「幸福」や「豊かさ」について、感心が高まっているというお話を耳にします。
「幸とは何だろう?」誰でも一度ぐらいは考えたことがある問いではないでしょうか。

慌ただしく過ぎる毎日に「そんなことを考えている余裕なんてない」という人もいるでしょう。

今日は「国際幸福デー」です。
幸せの日に、世界の人々と一緒に「幸福」について考えてはいかがでしょうか。

幸せとは足りないものを埋めることではない

人は誰しも何かしらの悩みや不安を抱えています。
将来に対して、経済的なことや人間関係。

悩みなど全くないように見える人にも、ひとつやふたつ悩みはあるものでしょう。

常に心には満たされぬ思いを抱いていて、その悩みが解消されれば今よりも幸せになれると考えている。
その足りないものを埋めるために物を増やしていく。

必要以上に物を増やすということは、そこから得られるであろう幸福のようなもので、自分の足りない部分を補おうとする行為です。

物質的な豊かさの追求が幸せではないと、頭ではわかっている人は多いのではないかと思います。
それでも求めてしまうのは、増やすことが幸せに繋がると、心のどこかで考えているからでしょう。

私たちはすぐに他人の評価を気にしてしまいます。
だからこそ「精神的な豊かさ」よりも、安易に「物質的な豊さ」を選んでしまうのです。

幸せとは一部の人たちのものではない

昨年、国連が「世界幸福度報告書2013」を発表しました。
その中の「国別幸福度ランキング」では日本は43位という結果でした。

幸福は決して比べるようなものでもありませんが、物質的な豊かさが幸福ではないというひとつの指標となるのではと思います。

今の価値観では大多数の人が不満を抱え、不幸せを感じて生きている。
それだけ幸福感を得られずに過ごしている人が多いということなのでしょう。

いい大学を出て、いい会社に就職して出世する。
そんなステレオタイプな「幸福のモデルケース」のようなものが今だに共通意識としてあるように思います。

いい大学や会社といわれるところには定員があります。
出世や他社より上を目指しても、上にいけばいくほど数は減っていきます。

これでは少人数の幸せな人と、大多数の不幸せな人たちを生みだすことになってしまいます。

ならば、努力して上になればいい、自己責任だと言う人もいるかもしれません。

人と比べて、上にいるから安心する。
その状態を幸せと呼ぶのなら、他者を蹴落とすことでしか幸福になることができなくなります。

それでは結局、一部の人だけか幸福を享受できるシステムや考え方です。
幸福を追求することが不幸を生みだすことになってしまうのです。

幸せとは全ての人が、いつからでも感じることができる

幸せとは何かを手に入れた時、何かを成し遂げた時に得られるものではありません。
限られた一部の人たちだけに許されたものではないのです。

何を持っているかを比べるから、誰かとの比較でしか幸福を感じることができないのです。

人は違っていて当たり前。
容姿や能力、生まれた環境はそれぞれ異なります。

多くを持つから優れていて、持たないと劣っているということではありません。
ただ違うだけであって、それが幸か不幸かを分けるものではないのです。

何が足りないのかではなく、何をも持っているのか。
どうやって増やすかではなく、持っているものをどう使うかなのです。

「幸せとは何か?」その答えはひとつであるとは限りません。
各々が思う答えがあってもいいはずです。

ただそれは、誰かに教えてもらうものでも、押し付けられるものでもありません。

ひとつ確実に言えることがあるとすれば「全ての人が幸せになれる」ということです。
いつからだって、今すぐにでも、人は幸せになれるのです。

 

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