深呼吸日和

こころの時代のライフスタイル
シンプルで豊かに生きる幸福論

「吾唯足るを知る」自分にとって必要なもの見極める

知足の蹲踞

このブログのひとつのテーマにもなっている「吾唯知足(われ、ただ足るを知る)」という言葉。

この言葉は京都の龍安寺にある「知足の蹲踞(つくばい)」に彫られているものです。
蹲踞は水戸黄門としても知られる徳川光圀公から送られたもので、お釈迦様の「知足の心」を表しているそうです。

龍安寺は枯山水の方丈石庭で有名なお寺で、世界遺産にも登録されています。

吾唯足るを知る

この「吾唯足るを知る」という言葉は、際限なく求めるのではなく、自分にとって必要なもの、必要な量を知る。
そしてその必要なもので満足することを知る、ということだと思います。

大切なのは「自分にとって」の必要を知るということ。
地位や年収、所有しているものなど、他人と比べてではなく、何が自分にとって必要で何が不要なのかをきちんと見極めること。

人それぞれ、環境によって必要なものは違ってきますし、同じである必要もありません。
まずは自分にとっての「必要」を考えてみましょう。

満ち足りるが「満足」

私たちの周りには必要以上の物が溢れています。
その中で「足りる」こと「満足」する気持ちが麻痺してしまっているのではないでしょうか。

本来、私たちが幸せに暮らしていくためにそう多くのものを必要としないはずです。

何があれば足りるのが?
どこまであれば足りるのか?

あなたにとっての「満ち足りる量」はどれくらいですか?

「知る」ということ

「吾唯知足」の4文字目にある「知る」。

これは頭では分かっているということではありません。
理解したつもりになって無理に我慢することではないないのです。

「知る」とは知識として知っているではなく「心で理解する」こと。
するべきだと考えずとも、自然にそう在るものです。

我慢するのでもなく、ただ足る心を知る。

「吾唯足るを知る」という言葉を心から理解することはとても難しいことです。
ただ、心がけとして頭の隅に留めておくだけでも意味のあることだと思いますし、大切なことだと思います。

ぜひ、自分自身の「足るを知る」を見つめてみてください。

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