私たちはひとりでは生きられません。
しかし、それぞれ異なる者同士が共に生きるということは、往々にして痛みを伴います。
人の悩みの大半は、人間関係に起因するといっても過言ではないでしょう。
「いきづらい」という感情も人との関わりの中で生まれるものです。
少なからず、順位を着け競争し、比べることを求められてきました。
そういった他人と競争する価値観を植え付けられてきました。
人と比べて生きるということは、常に上か下かと見比べるということです。
優越感と劣等感を交互に行き来することになるのです。
上にみられるために評価ばかりを気にするようになります。
それはとても息苦しく、生きづらいものです。
他人の評価以上に大切なものは沢山ある
人から評価されて育った人は自信を持つようになります。
評価されずに育った人は萎縮し、自信を失ってしまいます。
私たちは嫌でも、他人からの評価に振り回されるのです。
何ができるから優れているかなどは、相対的で流動的なもの。
社会的な評価とは、環境や状況が変われば、簡単に崩れてしまう他人の評価です。
肩書きやブランドといったものは表面的な評価でしかありません。
それでも他者からの評価を気にしてしまうのが人間でしょう。
少しでも良く見られたいと見栄を張り、本来の自分より悪く思われたくないと虚勢を張る。
他人の評価以上に大切なものは沢山あります。
本当に守らなければいけないものは何なのかを考えるべきなのです。
それは、決して見栄やプライドではないはずです。
人の視線や誰かの評価ではないはずです。
色々な考え方があります。
ひとつの評価を必要以上に気にしなくてもいいのです。
不要なものに縛られない
私たちは知らず知らずのうちに「こういうもの」「こうあるべき」といった固定観念に囚われてています。
物事を決めつけ他人の評価を気にして、沢山のものを抱えながら暮らしています。
手放したいのに手放せない、要らないのに捨てられない。
凝り固まった価値観に縛られていては、心の自由は得られません。
何が大切で、何が自分にとって必要なのかを明確にしてみましょう。
それ以外のものは大抵、自分にとって取るに足らないものです。
それは他人や物をを蔑ろにしてもいいということではありません。
自分さえよければ、それでいいと言っているのではないのです。
背負っている不要な重荷は下ろしてしまいましょう、ということです。
評価への依存から抜け出せないかぎり、心のどこかで生きづらさを感じながら過ごすことになります。
「他人の」評価を手放せば、生きるのが楽に感じることができるはずです。
いつからか、世間の評価、価値観が自分の中心になっていました。でも思うようには評価されなくなり、自分より評価されている人と自分を比べて、やりきれなくて、人が嫌いでした。このブログに出会ってから、自分がいろんな観念に縛られていたことに気づきました。これからは、自分の本当の気持ちを大切にして、生きていきたいです。