偏見と先入観について
同じことをしても好きな人がやるのと嫌いな人がやるとでは見え方が違ってきます。
優しくされても、好きな人だと、やっぱりいい人だなあと好印象を抱くのに対して、嫌いな人だといい格好してと、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまいがちです。
同じ料理でも、先に値段や作った人を聞いてからでは違った印象を抱くはずです。
前提が違えば同じことでも感じ方が変わるということです。
「普通」や「当然」と言われるものも固定されたものではありません。
立場や環境が違えば「普通」は「特別」であり、「当然」は「意外」になるのです。
あなたの考える「普通」がみんなの考える「普通」であるとは限りません。
考え方はひとりひとり違うということ。
基準となるものは人それぞれ違っていていいということです。
同じ映画をみても違う感想を持つし、同じ料理を食べても違う感想を抱きます。
世の中には多様な価値観があり、どれが正しい、どれが間違いというものではないのです。
それぞれ正しいが唯一ではないのです。
正しさの押し付け
つい他人に対して「こうあるべき」とか「こうするべき」という押し付けた考えをしてしまいがちです。
そこには、そうすることが正しいのにという前提があるように思います。
それが当然で正しいことなのに、と。
なぜその当然ができないのか、という正論を突きつけているように感じるのです。
確かに正論は正しいのでしょう。
しかし、正論を手段として使う限り相手が意見を改めることはほとんどないでしょう。
相手の価値観を尊重せず、頭ごなしに自分の中の「正しさ」を押し付けても余計に意地になるばかりです。
違う価値観に反発し、自分と同じにしようと迫る必要はないのです。
自分と違う価値観があると受け入れることです。
「正しさ」とは他人に押し付けるものではなく、自分の中に持つ基準のようなものなのではないでしょうか。
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