誰かのためには生きられない、人は自分のために行動する

誰かのためという幻想

人は結局のところ、自分のためにしか行動しない生き物です。

誰かに親切にするのも、好きな人に優しくするのも、自分がしたいからするのです。
困っている人を助けるのは、その人のためというよりも自分が助けたいと思ったから助けているにすぎません。

無理に誰かのために行動しようと考えすぎると、視野が狭まり柔軟な思考ができなくなります。
相手のためにしてあげていると思うと、自分はこれだけしてあげたのにという考えに陥りがちです。

自身の行動を他人に中にゆだねるべきではありません。
自分のやりたいように行動した結果が誰かのためにもなっているものです。

人はひとりで生きているわけではありません。
自分の中だけで物事が完結するわけでもありません。

ひとつの行動が関連し合い、周囲に影響を与えます。
自分から始まった小さな波紋は、やがて他の波紋へと広がっていくのです。

偽善でもいい

見返りを求めているわけではなくとも、親切にしたことで相手から感謝されるのは嬉しいものです。
反対に何の反応もなければ、せっかく親切にしてあげたのにと思ってしまいがちです。

しかし、人の行動が自分のための行動である以上、他人の評価や反応にさほど意味はありません。

私たちはどこまでも利己的であり、それで良いのです。
利己的な行動が利他的な行動でもあるのです。

相手が嫌がっているにもかかわらず押し付けるような独善的な「人助け」はただの迷惑です。
ただ、本当に困っている人がいたら手を差しのべましょう。

相手の人は助かります。
助けた本人も、自分はいい事をしたと気持ち良くなれます。

誰も嫌な思いをしていません。
みんなが幸せな気持ちになれるなら、自己満足でも偽善と言われようとも良いのではないでしょうか。

それに対して、良い格好をしてと、偽善的だからと非難しているだけでは誰も救われません。
目の前に困っている人がいても見て見ぬふりをする方がよっぽどお互いに傷つくだけです。

何かしてあげればよかったと後からモヤモヤするくらいなら、周りに流されずに自分の思うように動きましょう。

情けは人のためならず。
「誰か」への行動も結局は「自分自身」への行動なのですから。

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