心の深い部分で理解するということと、わかったつもりになること

分かってはいるけどは分かっていない

わかってはいるけど、という言葉をよく耳にします。
した方が良いのはわかっているけど、やめるべきなのはわかっているけど、と。

でも、この言葉は知識として知っている、情報としては知っているというだけなのです。
本当のところで理解はできていません。

本心から理解できたときはストンの心の奥にはまる感じ、腑に落ちる感覚が得られるはずです。
わかったつもりになって、利口なふりをしていては大切な気付きを見逃してしまいます。

頭ではわかっているのに理解できないのは、理解したくないという思いがあるのではないでしょうか。
どこかに認めたくないと、心に引っかかる「何か」があるはずです。

その「何か」を自問し続けることが「理解」するためには必要なのです。

わかったふり

人は自分の心すらも完全に理解することはできません。
ましてや他人の心となれば尚更です。

共感はできても、相手の全てを理解することはできないのです。

似たような考え方、近い価値観を持つ人はいても全く同じ人はいません。
みんなそれぞれ異なる存在なのです。

違うところがあって当然ですし、それでいいのです。

できるのはありのままでいること、ありのままを受け入れることです。
偽らず否定せず、寄り添うことだけです。

それが共に生きるということではないでしょうか。

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